2023/01/17
今年もよろしくお願いします。年を重ねると新しい年が明けてもなんの感慨もありません。どうせまた一年後にはまた変わるのです。年末年始はお休みをいただきましたが、世間で行われている行事にもついても他人事のように感じるようになりました。また、新型のコロナの毎日発表される新規感染者数にも以前よりは冷静に受け止めるようになったと思います。関心はあるのですが、以前のような神頼みのような感覚ではなくなりました。私も気が小さいので当初は験を担ぐような行動もしていました。でもこればかりは当たり前ですが私一人がなにか心掛けたところでどうにもなりません。繰り返しますがこれは自明のことなのですが最近になってようやく心のつかえが一つとれたようで楽になりました。コロナにはついてはまだ落ち着きませんがこちらの気のもちようでもあるのです。
<かぜ情報>
12月から発熱やかぜ症状で受診される患者様が増えました。新型コロナウイルスを診断される割合も高かったです。インフルエンザが陽性となるケースもみられました。1月から増えてくることは十分想定されます。申し訳ありませんが発熱外来の枠の人数を毎日オーバーしており全ての受診希望者に対応はできていませんでした。今後は診療体制を見直してより多くの患者さまに対応できるようにしていきたいです。
<発熱外来の場所と時間の変更について>
1月中旬(1/16)から発熱外来の体制を大幅に変更することになりました。まず、駐車場奥の仮設診療棟で検査などを実施することになります。また発熱外来の時間を午前は11:30~12:00、午後は16:00~16:30とさせていただき、その時間帯は他の診療は中止といたします。発熱外来以外の通常診療希望の方もご留意くださいませ。
以前から申し上げていることですが、かぜ症状での受診予約はネット予約ではなく直接の電話予約をお願いいたします。ネット予約で来院されても、発熱外来枠が空いていない場合には改めて別の時間枠へのご案内をお願いすることがあります。
<糖尿病コーナー>
伊奈町の某ショッピングモールに某ファーストフード店がオープンしました。皆様おなじみの有名チェーンですが、施設名はあへて伏せておきます。とても大きな店舗で皆様も楽しみにされていたようです。せっかかくのオープンに水を差すようなことはしたくないのですが立場上、申し上げます。どうかうまくつきあっていただきたいです。私もごくたまに休日などに家族の頼まれて買ってくることがあります。正直、たまに食べるとおいしいと思います。やはりファーストフードなので気を付けていただかないと、栄養バランスが悪く偏ったり、糖質(炭水化物)や脂質の摂りすぎになってしまいかねません。会社のホームページに全ての商品の栄養組成と量が公開されていますので是非参考にしてください。まず、1回の食事の目安量ですが、血糖が著しく高い場合や肥満がかなりの場合は1回の主食の糖質(炭水化物)は50gまでという風にお勧めすることはあります。そこまで強い糖質制限はする必要がない場合でも標準的な目安として1回(一食)の主食の目安はせいぜい70gまででしょう。コンビニのおにぎり1個の糖質量が40~50なので、2個だとオーバーとなります。さて、ファーストフードのメニューですが、ハンバーガー1個当たりがおよそ40~50gです。ただし、幅があって60g以上のものもあれば40gを下回るものもあります。どのハンバーグが多いかについては大体イメージ通りだと思います。「ダブル」とか「テリヤキ」と名の付くものはやはりそういう感じです。ポテトはサイズによってかなり変わります。3つのサイズがありますが、一番大きいサイズのものは一番小さいものの約2.5倍、二番目のサイズものは2倍弱といったところです。これはカロリーや脂質についてもほぼ同じ傾向です。ちなみに一番小さいサイズのポテトは糖質が30gをきっています。つまり糖質の多くないハンバーガーとポテトの一番小さいサイズのポテトなら両方食べてもなんとか許容範囲ともいえます。一番心配なのはドリンクです。甘いドリンクはそれだけで糖質が50gを越えています。ですから、例えばハンバーガー1個と2番目のサイズのポテト、そして甘いドリンクの3つの組み合わせだと2食分の糖質の量になってしまいます。さらにこれを頻回に続けると、どうなるか想像に難くないでしょう。今回は糖質に限ってお話ししましたが、ファーストフードの場合、脂質もかなり多くなりやすいです。先ほどの組み合わせだと3食分の脂質の量に近くなります。会社のホームページで栄養バランスを計算できるようになっています(おまけに、栄養バランスのアドバイスまで記載されます)。是非使ってみることをお勧めします。なんだかかえって宣伝になってしまったような気もします・・・・。
<院長の日記>
動画配信サービスのおかけで、今は映画館に行かなくても、テレビを録画しなくても、DVDを借りなくても好きなときに気軽に映画やドラマを見ることができるようになりました。最近は子供の頃に見たアニメや特撮ものを懐かしさもあってみることがあります。改めて実感されるのですが、あらすじは大まかには一定のパターンになっています。特撮ものや幼児向けアニメのパターンの一つに「敵が最後に巨大化する」というものがあります。巨大化になるとそろそろ終わりだなとわかってしまいます。あのあんぱんマンの映画ですら巨大化で終わることが多いです。もっと大まかな「構造」でみると、例えば主人公は少年か少女、仲間がいて始めはうまく行きませんが徐々に成長し最後には敵を一緒に倒して終わりというパターンです。大人向けの映画でもパターンはあります。例えば、暗い過去を引きずった主人公が困難に直面して復活し、大事を成し遂げる。恋愛もの、サスペンス、ジャンルはありますがいずれもパターンの組み合わせで成り立っています。パターンを修飾する要素も存在します。例えば、ヒロインがいる、親に対する反発、裏切り、などなどです。これら物語のパターンを研究する学問があるかは知りませんが、多くの物語は実は神話のパターンと重なる(あるいはその変形)と考える説があります。神話はそれぞれの民族で伝承されてきましたが、神話の共通の構造を追及する学問は存在します。私も少しだけその分野の書物を読んだことがありますがかなり難しくて挫折したのを覚えています。なかでも構造主義の創設者として有名なレヴィ=ストロースが残した業績は壮大で神話の研究から「そもそも人とはこういうものである」というところまでたどり着いています。私なりに解釈すると人のつくる物語にはそもそも一定のパターン(=構造)が存在し、全ての物語はその変形、隠喩、変換(いすれも難しい専門用語ですが)でできているというものです。人は物語を聞く(視る)前に実は予定調和的なものであることを「無意識のうちに」期待しており、そして物語は絶対にその期待通りになっている。どんなにアッと驚く結末だと思っていても実はそれも予定調和の中のものだということです。なんだか難しなってしまいました。子供たちがまだ幼いころに映画に連れて行って欲しいと言われたときに、結局最後はみんな巨大化して終わりだろう、と身も蓋もないことを言ってしまいましたが今になって後悔しています。そもそも人が作る物語はパターンの域を出ることがないのですから。映画やドラマにはシナリオライターがいます。大変失礼ですが、物語を一から作り上げているのではなくパターンや因子の「組み合わせ」をうまく行ってくれているのだと思うのです。そうは言っておきながらどうもこの説にまだ収まらないコンテンツもあるではないかとも思っています。小説です。例えばドストエフスキーの小説はもう物語を越えてしまっているとしか言いようがないように感じます。小説は小説としか言いようがない。「罪と罰」を映画にしてしまったら「物語」になってしまうと思います。「カラマーゾフの兄弟」に至っては映画化は不可能でしょう。