2021/08/11
毎日更新される例のあの数字ですが、厳しい数字がつづいています。いつも言っていますが、この数字上がると必ずどこかで下がることになります。下がるのが続いている時も結局これがいつまで続いてくれるのか不安なわけで、逆に上がれば上がるほど、下がっている時間も長くなるのでは?とか変な期待で毎日過ごすようになりました。でも近頃は変動が大きすぎてついていけません。1年前は一桁少ない数字で一喜一憂していました・・・。
<かぜ情報>
まず、小児のかぜ症状が増えています。RSウイルスが全国的に大流行しており、その影響もあると思われます。
実際、当院でも検査をしてみると陽性の結果が出るケースが増えています。RSウイルスは新型コロナウイルスの逆で幼い子供ほど気管支炎の重症化や肺炎のリスクが高くなります。個人的には1歳あたりがその境目になっている印象を持ちます。そして年長になるほど普通の風邪に近い経過となります。RSウイルスは検査キットで簡単に診断できますが、保険適応は原則1歳以下です。RSウイルスと判明してもインフルエンザのような特効薬はありません。慎重な経過観察で対応することになります。重症なら入院も考慮となります。
当院では新型コロナウイルスのPCR検査および抗原検査を実施していますが7月後半から陽性となる患者さんが特に若い人に増えています。また職場や家族に陽性者がいると申し出られる方も増えてきています。まさに私達の生活空間に入ってきていることが実感されます。
<夏季休診日について>
8月は11日(水)が山の日となっていましたが山の日は8日(日)に移動し、9日(月)が振替休日となっています。当院でもこの新たな祝日の日を休診とさせていただきます。また、8月12日(木)~15日(日)は例年通りの夏季休診とさせていただきます。10日(火)と11日(水・午前)は通常通り診療いたします。
<伊奈町特定検診の開始のお知らせ>
7月から毎年恒例の伊奈町の特定検診が始まりました。例年より開始時期はやや遅くなりました。伊奈町在住の国民健康保険証か後期高齢者証をお持ちの方が対象です(オプション検査となっている胸部レントゲンや大腸がん検診:便潜血などは社会保険に加入の方でも受けられます)。今年は11月末までです。昨年ほどではありませんがそれでも以前よりは期間は長めです。待合室の密を避けるために、今年も1日あたりの受診予約枠を少な目とさせていただいております。期間が長めですので余裕をもった計画で予約できるとは思います。それでも秋以降は予約がとりにくくなる可能性もありますので早めの受診をおすすめします。
<糖尿病コーナー>
今回は肝臓のお話しです。糖尿病の合併症として肝臓の疾患についてはあまり聞いたことはないと思います。
たしかに糖尿病特有の合併症としての肝臓の病気はありませんが、糖尿病と根っこが同じ場合が多い「メタボ」で起きる肝臓病があります。まず、メタボと糖尿病の関係の整理ですが、メタボ(正式にはメタボリックシンドローム)は内蔵肥満を背景に高血圧、高脂血症、糖尿病の原因となり、されにこれらを複数かかえてしまっている状態です。メタボで起きる肝臓の病気はわかりやすくうといわゆる脂肪肝です。メタボがあってさらに血液検査で肝機能異常が見られた場合、エコー(超音波)検査で肝臓に脂肪がたくさんついているのが確認された場合に「脂肪肝ですね」と言われることがあります。脂肪肝は正式には「非アルコール性脂肪肝疾患(NAFLD)」といいます。アルコールによる脂肪肝とは区別されます。NAFLDの中に肝臓の中での炎症が起きてしまっている場合を「非アルコール性脂肪肝炎(NASH)」と言います「疾患」から「炎」に名前が変わっていますが、この炎症が起きている状態が続くとやがては肝硬変や肝臓がんに至る確率が高くなります。かつては肝硬変の原因として代表的なのはB型あるいはC型肝炎でした。しかし、どちらも今ではウイルスの感染が起きないように事前に輸血のチェックがされますし、C型肝炎については治療薬も開発され、将来的にはほぼみられなくなる病気とされています。一方で従来はいわゆる脂肪肝は肝硬変などに至る可能性は少ないとされ、あまり重要視されていませんでした。ところが最近では上述のNASHになると肝硬変や肝臓癌に至ることが稀ではないことがわかってきました。B・C型肝炎に代わってより警戒されるようになったのです。NAFLD(疾患)とNASH(炎症)の正確な鑑別(区別)は肝生検という、針で直接肝臓の組織を採取して顕微鏡でしか調べることでしかできませんが、血液検査で例えば血小板の数や肝機能のいくつかの検査指標を組み合わせてある程度推測できます。NAFLDやNASHの治療はまずはやはり生活習慣の是正で内蔵脂肪を減らすことです。糖尿病の一部の薬やビタミン系のくすりである程度効果が期待できるものがありますが、今のところ特効薬はありません。NASHになってしまうと定期的な肝臓の画像検査を受けて癌ができていないか早期に発見するようにすることが推奨されています。
<院長の日記>
子供の頃から日本の歴史地図を見るのが好きでした。やっぱり一番面白いのが室町時代末期から江戸時代初期にかけて、つまり戦国時代です。その中でもさらに興味深いのは豊臣秀吉が天下を統一した後の時期の地図です。秀吉に臣従した全国の大名の配置を見ていると飽きることはありません。この時期はすなわち関ヶ原の合戦の直前の配置ともいえます。この地図の中でいつも気になっていた大名がいました。佐竹義宜です。「よしのぶ」と呼びますが、私の名前も「よしのぶ」で子供ながら同じ名前であることにまずひっかかりましたが、さらに興味深いのは佐竹義宜の領土です。今の茨城県から栃木、福島にいたる北関東の広大な領土です。しかも後に天下人になる徳川家康のすぐ北に隣接しています。とても大きな存在であるはずなのにあまり知られていないと思います。実際、佐竹義宜に関する書物も少ないですし、戦国時代のドラマでもほとんど出てきません。私なりに知っている限り紹介してみたいと思います。
佐竹氏はもともと源氏の流れをひく名門です。戦国時代には下剋上で多くの名門が没落していきましたが、その中では佐竹氏は数少ない古い家柄でした。名門ながらも弱小でありかろうじて生き残っていたところ戦国時代に佐竹氏の勢いを盛り返したのが義宜の父、義重です。坂東太郎の異名までとった義重はとにかく戦に強く、策略家でもありました。常陸の国(今の茨城県)内で台頭し、南東北の伊達氏や越後の上杉氏とも戦いました。勢力拡大を続けた伊達氏に対抗するべく南東北の豪族を結集して散々伊達政宗を苦しめました。義重は40台の若さで息子の義宜に家督を譲りました。義宜も勇猛果敢な武将でした。ところが時代は戦国末期、豊臣秀吉が天下統一に邁進しており、ついに家康も臣従させ関東に迫ってきました。北条攻めです。ここで義宜はいち早く秀吉に従うことを決めます。いまでこそ秀吉の天下統一は有名ですが、当時はまだそこまでは確定的はみられていませんでした。特に畿内から離れていた関東にあっては尚更です。その中でいち早く秀吉に臣従を決めて小田原にかけつけたのが佐竹義宜です。結果大成功です。常陸での領土安泰を認めてもらったばかりか、常陸とその周辺の勢力拡大も認められたのです。お墨つきをもらった義宜は時に策略も用いて領土を拡大し大大名になることができました。義宜に特に便宜を図ってくれたのが石田三成です。三成は武断派というよりは官僚タイプの武将ですが、上杉の知将直江兼続とともに義宜とはかなり気があったようです。豊臣のブレーンである三成は早くから家康を警戒しており、ちょうど家康の背後にいた佐竹氏を重要視していたのかもしれません。伊達氏も警戒されており、伊達と徳川に対し上杉と佐竹でけん制することになったようです。当時の佐竹氏の大きさを示す例として「豊臣六大将」なるものに数えられました。
佐竹氏とその一族で54万石あったとされています。紙面がなくなりました。続きは次号で。