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金崎内科医院

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院内報2025年4月1日号を掲載しました

3月も寒さが続き、雪まで降ってそう簡単には春は来ないとういような状況でした。
それでもさすがに4月ですのでもうすでに暑くなることの方が心配なのは私だけしょうか。

<かぜ情報>

新型コロナにかかる方は多くはありませんがやはりそれなりにいらっしゃいます。下痢や嘔吐が主な症状のウイルス性胃腸炎が3月は多かったです。一時よりは減ってきていますがまだ注意は必要です。一般的なかぜ症状で受診される方もやや多いですが、どちらかというと状況は落ちついています。
風邪ではありませんが花粉症で受診される方がとても多い状況です。

<今年からの診療時間変更の知らせ>(前号と同内容)

今年(令和7年)より月、火、木、金曜日の午後の診療時間は18:30までとさせていただきます。ご留意ください。(水、土曜日の午後は休診です)

<糖尿病コーナー>

糖尿病の治療薬は次々に新しいものが登場しています。これらのお薬のおかげもあって血糖値をコントロールすることが以前よりも容易になってきています。以前、日本での糖尿病をもつ人の平均余命(寿命)は全体の平均余命とほとんど変わらなくなってきているということも紹介しました。これも治療薬の進歩のおかげと言われています。糖尿病自体が軽くなっているわけではありません。一方で治療を続けている人にとっては自分のお薬がさらに増える、あるいは変更になることに抵抗感を抱かれることが多いことでしょう。私の経験上、ほとんどの人がそうだと思います。理由としては薬が増えると病気が進んでしまった気がする、薬はいったん増えたら減らせない、医療費や副作用が心配だから、と言ったお声をきくことが多いです。糖尿病は自分の生活習慣だけではなく、遺伝や加齢も大きく影響します。自分で普段取り組んでも血糖(HbA1c)が上がってきてしまう、あるいは仕事やそのほかの理由で生活習慣の対策をしたくてもできない、といった自分の努力ではどうにもできないような場合のためにお薬があるのです。「お薬の力を借りる」ということになります。最近のお薬は血糖を下げるだけでなく、血糖値を下げる以外の効果を介して合併症のリスクを下げる、体重も下がる、自然の食事量を減らしてくれる、といったものも登場してきており、なるべく早く使った方がその恩恵を多く受けられることも指摘されています。お薬を使って血糖が下がることで日常生活の自由度が増し、ストレスが減るといった効果もあります。また、ある最新のくすりは大変に効果が高いために以前から使っていた薬をかえって減らせることができるようになったり、インスリンの単位数の減量、場合によっては離脱が可能になったりするケースも多くなってきました。糖尿病はやはり「病」であり自覚症状がなくても進行することが多いのでどうしても診療の場面でお薬の提案をせざるを得なくなることはあるでしょう。もし、そのときに抵抗感を感じてしまってもそれはむしろ当然であり、すぐに結論を出す必要はありません。そのときの気持ちを声にだしていただき、わからないことがあれば是非ご質問いただきたいです。よろしくお願いいたします。

<院長の日記>

母が実家を片付けていたら私の小学生2~4年生の時の通信簿(通知表)がでてきた、とのことで手渡されました。成績は「5」が1個あるかないかで、「3」か「4」が多かったです。また、担任の先生からと母からのコメント欄に「うっかりミスが多い」、周囲に流されてつい「調子に乗ってしまうことが多い」、ということが毎回のように書かれていました。確かにそうでした。思い出しました。テストの答案が返ってくるたびにうっかりミスが多いことを母に注意されていました。具体的にどのようなうっかりミスだったのかは覚えていませんが。また、周囲に同調して調子にのってしまうことについても中学の頃までずっと注意されていました。自分からは何かを起こすことはできないのですが、周りに流されてしまうのはなんとも情けない限りです。いつも他人の顔色ばかり伺っていた子供でもありました。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものでそのような気質は今もあまり変わっていないような気がします。そんな人間がこのような仕事をしているのは何とも恐ろしいことです。
人は年を重ねるたび多くのことを経験するわけで、若い人よりは賢くなって当たり前のように思われます。確かに経験によって「面(つら)の皮が厚くなる」こともあるでしょう。これによって多少は自分自信も楽になったような気がしますがいわゆる性格というものは「成長」しないようです。大学の時に部活のOBと話をしたときにかつての同級生を辛辣に評価しているのを聞いたことがありますが、結局は学生のときと「全然」変わらない」と残念そうに言っていました。変われないのが真理だとすれば周囲も本人もその性格を前提にしてその人にあった対応や仕事をしていくことが重要なのかもしれません。どうしても苦手、あるいは合わないことがあってみんなが苦労するままにしておくのではなく「適性」をそれぞれ発揮できるようにする、これが出来るような社会にする、これこそが多様性を認める社会であり、本当に豊かな社会なのだと思います。たまたま勉強ができる人(プラス環境に恵まれた人)は高学歴になるかもしれません。手先が器用な人が職人になれるのかもしれません。人とのコミュニケーションが上手な人が管理職になるのかもしれません。芸術的感性に優れたひとがアートの世界で認められのかもしれません。でも、ほとんどの人は様々な偶然が重なった結果今の場所にいるのかもしれず、それが本当に自分に合っていると思っている人はわずかかもしれません。もちろんそれぞれ努力をして社会での今の居場所を獲得したのかもしれませんが、全ての人に同じ努力を強要する社会だと、そこには疲弊してしまう人がたくさん生まれてしまうのかもしれません。社会(国)全体が発展することがこれまで重要視されてきましたがそろそろ本当に豊かな社会とは何かを考える時期かもしれません。